インターロイキン6ハンティング
JSICR Newsletter 25巻,2008年春号掲載(一部改変),
Japanese society for Interferon & Cytokine Research
顕微鏡を覗くと、レンズの彼方から末梢型肺腺癌の病理像が飛び込んできた。肺胞上皮のあちらこちらに異形性を有する私の癌細胞がはっきりと認められる。一部では癌細胞の集塊が認められる。しかし癌細胞は肺胞内に限局しており、間質への浸潤は認められない。まだ上皮―間葉細胞転換(epithelial mesenchymal transition;EMT)は生じてはいないようだ。しかし間質の繊維芽細胞の増殖ははっきりと認められる。いわゆる癌細胞と間質細胞の相互作用である。おそらくインターロイキン6(IL-6)やTGFbなどのサイトカインがたくさん産生されているのだろうと推察される。間一髪で助かったようだ。2007年10月2日のことである。その時私の脳裏に、医学部卒業後初めて受け持った、当時40歳前半の肺ガン患者さんの顔が浮かぶ。全力で治療に当たるも甲斐なく亡くなられた間質性肺炎患者さんのぼろぼろになった肺の病理組織が脳裏をかすめる。そしてむなしく逝った多剤耐性結核患者さんの最後が。これらの患者さんが私をIL-6発見へと導いてくれた。今から22年前、1986年5月25日の日曜日、だれもいない研究室でオートラジオグラフィーのフィルムを現像すると、紛れもない、確かなスポットが目の前に忽然とあらわれた。IL-6の精製を開始して、実に苦節8年、努力が報われた瞬間であった。
1986年、熱い年に向かって
1972年3月に大阪大学医学部を卒業後、第三内科の山村雄一教授(元大阪大学総長、故人)の門をたたき、1年間臨床研修を受けてから米国に行くことにした。第3内科での最初の患者さんは、肺ガンの患者さんとSLEの患者さんで、文字どうり患者さんと一体となり戦ったが、刀折れ、矢尽き、臨床医学の限界を体のそこから実感した。<目の前の医療よりも明日の医療のために医学を志そう> この思いはその後羽曳野病院での勤務を通じてもますます大きくなった。1973年6月末に近藤宗平教授が紹介して下さったボルチモアにあるNIHのDr. Makinodan(直接のボスはDr. Nordin)の研究室があるGerontology Research Center (現NIA)に留学した。現地では、第3内科の大先輩の岸本忠三先生(元大阪大学総長)が、自ら車を運転をされてボルチモア空港に迎えに来て下さった。このようにして岸本先生とはボルチモアで初めてお会いすることになった。さらに、高津聖志先生(現富山県薬事研究所所長、東大名誉教授)ら、年上の先輩方との出会いを経験した。またジョンホプキンス大学の石坂公成先生と石坂照子先生にもお会いするという幸運に恵まれた。
当時の免疫学はといえば、1960年後半にT細胞、B細胞が発見され、免疫イムノグロブリンを中心とする免疫化学の時代から細胞免疫学へと流れは大きく歩み出した時だった。1971年にワシントンで第1回国際免疫学会が開催され、DuttonがT細胞のかわりをする液性因子が存在することを発表、引き続き1972年にSchimpl と Weckerが T cell replacing factor (TRF)の存在をNatureに発表して注目を集めていた。ちなみに1971年に山村先生を中心として日本免疫学会が結成された。古くは1944年のMenkinによる内因性発熱因子、1953年のLevi-MontalciniらによるNerve Growth Factor、1965年のCohenらによるEpidermal Growth Facotr の存在の発見、1954年の長野、小島によるウイルス干渉現象の発見(インターフェロン存在の発見)、1965年のKasakura and LowensteinによるLymphocyte blastogenic factor、1966年のMigration inhibitory factor, 1967年のLymphotoxin、1976年のT cell Growth Factor (TCGF) の存在の発見など、各種活性を有する液性因子(サイトカイン)が存在することの発見が相次ぎ、1978年当時には、200種類以上の液性因子の存在が報告されていた。もちろんこれらの液性因子はすべて微量分子であり、その実体は全く不明だった。T細胞の抗原受容体も不明であり、その実体解明に向けて華々しい競争が繰り広げられていた。1975年にKohler and Milsteinによりモノクロナル抗体作成の報告がNatureに掲載されるとともに、1976年にはTonegawaらにより免疫グロブリン遺伝子再構成が発見された。大地震のまえの地底でのエネルギーの蓄積のごとく、エネルギーの蓄積が爆発、あるいは爆発寸前、ダイナミックな現代免疫学がまさにスタートしようとしている時だった。
帰国後2年間大阪大学第三内科で働いた後、1978年に大阪府立羽曳野病院に出ることになった。現在は一般病床が1000床もある総合病院だが、当時の羽曳野病院はまだ結核療養所の名残りがあり、患者さんも、結核や呼吸器疾患、さらにアレルギー疾患の方がほとんどだった。羽曳野病院での私の上司は露口泉夫先生(元・羽曳野病院院長)だった。露口先生からは患者管理の手法をいろいろ教わったが、「胸膜炎の患者の胸水にはTリンパ球が非常に多い」という話は私の好奇心をいたく刺激した。胸膜炎の患者さんからは治療のため、1L近い胸水を抜くことも多々あった。胸水1Lの中に10億このリンパ球が存在している。そんな患者さんが病院には何十人といた。しかも胸水リンパ球を結核菌体成分で刺激すると、その培養上清中には非常に強い抗体産生誘導活性があった(1)。当時はサイトカインの存在は知られていたが、その本体は全く不明だった。サイトカインを精製していた研究者はS.Gillisら世界でも数人だったが、なんとか精製ができないかと考えた。同僚の寺西強医博(現大阪府守口市医師会会長)と日中は受け持ちの患者さんの治療、夜はIL-6の精製をしていた頃、当時大阪大学の総長の山村先生から「明日、阪大に来るように」と電話があった。総長室に行くと「平野君、学校の先生にならんか?」と言われた。九大から熊本大学に行かれた尾上薫教授が、助教授を探しているとのことで私に白羽の矢が立ったようだ。熊本大学では引き続きIL-6の精製とその解析を4年間かけて行い、等電点5.1で分子量2.2万のB細胞分化因子(TRF様因子/BCDF)、すなわち現在のIL-6の存在を見出し、その精製を試みるとともに、作用機作の研究を続けた(2)。
1979年から1980年にかけて、谷口維紹先生によるインターフェロンベーター、Shigekazu Nagata,Charles Weissmannらによる インターフェロンアルファーの遺伝子クローニングの成功というサイトカイン研究史におけるマイルストーンといえる事件があった。当時の私にはインターフェロンは免疫とは関係ない遠い世界の出来事に思えたが、1983年の谷口先生によるIL-2遺伝子のクローニング成功の大ニュースを新聞で知り、少なからず衝撃を覚えるとともに、私と同世代の若い研究者の存在に深い敬意を評するとともに、いつかは追いつきたいという思いが沸いてきた。また岸本忠三先生らが阪大で、B細胞に作用する因子として、B 細胞分化因子(BCDF:IL-6) や、B 細胞増殖因子(BCGF)の同定の試みを精力的にされていた。また高津先生が、現在のIL-5(当時TRFと呼称)の研究を、William Paul やM. Howardらが現在のIL-4に相当する因子の研究を行うなど、B 細胞に作用する液性因子の同定はまさに国際的な競争下にあった。
私自身は熊本大学で、遺伝子工学の手法も取り入れるべきだろうかと考えていたころ、岸本先生が阪大に新設された細胞工学センターの教授になり、私に助教授として一緒にB 細胞に作用する液性因子の研究をやらないかと誘っていただいた。細胞工学センターに移ったのは1984年1月、そのころには私の研究も胸水細胞や扁桃腺細胞から精製する手法からウイルスでトランスフォームしたT細胞からサイトカインの同定をする手法に移っていた。1984年12月、蛋白研の綱澤先生らの助けを借りてN端の部分的アミノ酸配列の決定に成功した。「これで早晩、遺伝子の単離も成功する」と思ったが、1年経っても期待した成果はでなかった。1985年の8月日本航空機のジャンボジエットが墜落するという惨事があった。暑い夏の日の出来事であった。仲間の弟さんや阪大の教授も犠牲者になった。なんともやるせない暑い夏であった。研究にも暗い影がただよった。N端の部分的アミノ酸配列が間違っていたのではないか?という不安が常につきまとった。しかし、そのことを証明する術は、クローニングしない限り無かった。底なし沼である。信じる者のみが進むことが出来る暗夜である。
一燈を提げて暗夜を行く。
暗夜を憂うることなかれ。
ただ一燈を頼め。ーーー 言志四録
1985年の年末には、いら立ちとストレスから不整脈が頻発し夜も眠ることができず、研究者の道をあきらめようかと思った。1986年の正月明けに、友達の循環器専門医に診察を受け、心因性の不整脈であることがわかった。こんなことで、人生を棒に振るのはばかばかしいと思い直し、もう一度白紙の心で、保川清君(現京都大学助教授)らと100リットルの培養上清をはじめから集め直し、IL-6の精製をまったく一からやりなおした。そのようなときに、京都大学の本庶先生らのグループに因るIL-4遺伝子の同定のニュースが飛び込んできた(Nature 1986年 2月20日号)(3)。我々が同定を目差している因子は彼らが同定したIL-4と同じ分子ではないかという恐怖が襲った。今から思えば、このときは山の頂上の直下、息を切らしながら頂上を目差す登山者のそれであった。頂上が目の前にあることはまだわからない。息絶え絶えの状態であった。1886年の5月の連休のころは思苦しい精神状態で、連日クローニングの実験に取り組んだ。その時頂上は突如目の前に出現した。1986年5月25日、日曜日の午前11時に研究室に来てみると、三つの異なるプローブと結合している遺伝子が確認できた。羽曳野病院で精製を開始してからじつに苦節8年、ついにIL-6遺伝子の単離に成功した瞬間だった。その日の午後、一緒に苦楽を共にしていた保川清君(現京都大学助教授)、渡部保夫君(現愛媛大学助教授)、松田正君(現北海道大学薬学部教授)らと大学の近くの喫茶店で興奮しながら今後の実験計画を立てたのがつい昨日の様に思える。幸いにも我々の 研究成果は1986年11月6日号のNature誌に高津先生と本庶先生らのIL-5遺伝子クローニングの研究成果とともに掲載された(4,5)。同じ年の9月に26kDa 蛋白の、10月にはインターフェロンベーター2のクローニングの報告が、Eur. J. Biochemistry とEMBO J にそれぞれ掲載された。驚いたことにこれらの分子はすべて同じ構造をしていることが判明した。なんと、EMBO Jの論文は1986年5月末に投稿されている。あと1ヶ月論文投稿が遅れていれば、我々の論文はNature に掲載されなかっただろう。1986年の夏にカナダのトロントで開催された国際免疫学会に予定どうり参加した。学会にはほとんど出席せずにホテルに閉じこもり論文執筆をしなかったらどうなっていたことか!研究における競争という厳しい現実を心の底から実感した瞬間でもあった。かくして、1986年は私の人生で最もホットでかつ目まぐるしい展開を遂げるとともに、終生忘れることが出来ない1年となった。 その後、ミエローマプラズマサイトーマ増殖因子や、肝細胞刺激因子など種々の分子は、すべて我々がクローニングした分子と同じものであることが明らかになった。各々のグループが異なる名称を使用していたので、1988年のニューヨーク・アカデミーの主催する国際会議においてインターロイキン6という名称に統一された。引き続き、岸本研究室の当時大学院生であった田賀哲也君(現熊本大学教授)、山崎勝彦君(現厚生労働省)、日比正彦君(現理化学研究所発生再生科学総合研究センターチームリーダー)らがレセプターの構造を決定、インターロイキン6の全貌を解明することができた。1992年にハンガリーのブタペストで開催された第8回国際免疫学会で岸本先生とサンド免疫学賞(現在のノバルティス免疫学賞)を共同受賞する感激を味わうことができた。夜のドナウ川に映る街灯の美しさが星のきらめきのごとく脳裏に焼き付いている。この間、当時細胞工学センターの教授をされていた谷口維紹先生にはいろいろ教えていただき、公私ともに大変お世話になった。大学近くのマンションへの夜道を谷口先生と語りながら歩いたのが懐かしく思い出される。
関節リウマチの原因解明と治療への道
IL-6遺伝子クローニングから14年、ドラマは2度訪れた。石原克彦君(現川崎医科大学免疫学教授)、熱海徹君(アメリカNIH留学中)らによる、IL-6レセプターの点変異により関節リウマチのような自己免疫疾患が発症するという発見である(6)。関節リウマチなどの自己免疫疾患は複数の遺伝要因と環境要因により発症する難病で、その原因はいまだ不明だ。1987-88年にかけて、心房内粘液腫の患者に観られる自己免疫様症状が、粘液腫を摘除することによって消失することに注目し、粘液腫が産生する何らかの因子が関与している可能性を考え、その因子の本態がIL-6であることを明らかにした(7)。また、関節リウマチ患者関節液中には、IL-6が著増していることを見つけ(8)、IL-6が自己免疫疾患に関与しているのではないかと考えていたが、決定打はなかなか得ることはできなかった。いろいろモデルを考え、IL-6と関節リウマチのような自己免疫疾患の関係を明らかにする努力を模索しつつも失敗の連続で、このことは一日とも私の脳裏を離れることはなかった(9)。1990年代に中嶋弘一君(現大阪市立大学医学部教授)や日比正彦君らとIL-6受容体を介するシグナル伝達機構の研究を行い(10,11)、それぞれのシグナルを欠損しているIL-6受容体を発現しているノックインマウスを作成した(12)。2000年に石原君、熱海君らが、SHP2シグナルを欠損している変異gp130を発現しているノックインマウス(F759マウス)は、gp130を介するSTAT3シグナルが亢進しているとともに、加齢により自己抗体を産生し関節リウマチ類似の関節炎を発症することを見つけた(6)。最初に報告を受けたときには、にわかには信じられなかった。確かにIL-6シグナルが異常になっているgp130F759マウスは、老化とともに、例えばプラズマ細胞腫のような何らかのがん性病変をきたすことは期待してはいたが、関節リウマチのような複数の遺伝子や環境要因がからんでいる自己免疫疾患がIL-6 の単独の異常だけで自然発症することは、願望であっても、考えがたかった。しかし、まさに“事実は小説より奇なり“、まぎれもなくIL-6シグナルルの異常で関節リウマチ様の関節炎が自然発症した。興奮して眠れない日々が続いた。ついに、IL-6などのサイトカイン受容体シグナル異常により自己免疫疾患を発症することを証明したのだ。サイトカインと自己免疫疾患発症の機構を考える上で、非常に重要な知見がもたらされた。今年2008年は岸本先生らが日本の製薬会社と共同で開発された抗IL-6受容体抗体が関節リウマチの薬として世界中で臨床の場に登場するというIL-6研究の歴史における輝かしい年となる。岸本先生らの一連の研究と平行して行われた我々の基礎的な研究により、抗IL-6受容体抗体が関節リウマチに効果があることに対して、科学的根拠を示したのみならず、なぜIL-6の異常で関節リウマチなどの自己免疫疾患が発症するかの機序を解明する道が開けた。その後、村上正晃君(現大阪大学生命機能研究科准教授)という力強い共同研究者を迎えて、IL-6の異常でなぜ自己免疫疾患が発症するかの仕組みの解明に向かって展開している。2006年には澤新一郎君(現在フランス留学中)と村上君により、免疫システムと非免疫システムの相互作用により関節リウマチのような自己免疫疾患が発症するのではないかというモデルを証明することができた(13)。さらに小椋英樹君(大学院生)と村上君らの努力により、IL-6とIL-17が非免疫細胞に作用して、STAT3とNF-kBの活性化を介して相乗的にIL-6の遺伝子発現を誘導するとい事実が明らかになった。IL-6はTGFbとともにT細胞に作用してIL-17を産生するTH17細胞への分化を誘導する。このようにして産生されたIL-17はIL-6と協調してさらにIL-6の産生を誘導する。乃ち、IL-6の増幅回路(IL-6アンプ)が存在することを見つけた。またIL-17はIL-6アンプ依存的に関節炎の発症に関与していることを明らかにすることが出来た(14)。さらに抗原特異的なT細胞が関与するような自己免疫疾患においてもIL-6アンプガ関与している事を示した。これらの事実はIL-6アンプが広く自己免疫疾患や慢性炎症性増殖性疾患(Chronic inflammatory proliferative disease; CIPD (9))に関与している可能性を秘めている。これらの一連の研究により、なぜIL-6の異常で関節リウマチのような自己免疫疾患が発症するのかの機構の一部を明らかにすることが出来るとともに、なぜ抗IL-6受容体抗体が関節リウマチに著効するかと言う疑問にも重要な知見を得ることが出来たと考えている。
目の前の山に登りきる
研究室の若い人たちに例え話として山登りの話しをする。登山家は「どうせ登るのなら高い山に登りたい」と考える。しかし、私たち研究者にとっては、山が高いか低いかは登ってみないことには分からない。斬新な研究だと思っていたものがつまらなかったり、途中で投げ出したくなったりするかもしれない。しかし、「目の前の山を登りきる」ことが重要だ。山登りをした人ならお分かりでしょうが、頂上を目指して歩いているときは、頂上では、どのような景色が展望されるのは全くわからない。山の頂上に登り切って初めて目の前に新たな景色が広がる。頂上にたって初めて自分が登った山の高さがわかる。その山は予想に反して低いかもしれないし、高いかもしれない。たとえその山が低くても頂上に立てば、目の前に素晴らしい高山がそびえているかもしれない。新たな予期しなかった秀峰がそびえているかもしれない。次にめざす山が見えるはずだ。頂上近くなるとたいていはきつくなりあきらめようとする。頂上近くが、登山において最もしんどい時だ。脱落の危険性が最もあるときだ。中途半端でいくつもの研究を投げ出すと、いつまでも中途半端な研究者にしかなれない。たとえ100回山を登っても、一度も頂上に立ったことがない人は、一度だけ登山して頂上にたった人には決して及ばない。たとえ低い山でも頂上に立つことができた人のみが新しい景色を見ることが、更なる展開をつかむことができる。これは研究だけではなく、我々の人生すべてに共通する事だ。
IL-6がB細胞に作用して抗体産生を誘導する以外にも肝臓の細胞に作用して急性期蛋白の産生を誘導したり、多発性骨髄腫の増殖因子であるというのは、予想していなかった事実だ。1988年に関節リウマチの患者さんの関節液中にIL-6が多量存在していることを見いだし、IL-6が関節リウマチの病態に関係しているのではないかということが想像されたが、このようなことは、研究開始時点では想像すら難しく、研究の結果、頂上まで登って初めてわかったことだ。IL-6が関節リウマチ関節液中に多量存在しているからといってもIL-6がリウマチの原因なのか、それとも副次的なものかはわからない。地道な研究の結果、IL-6受容体のある部位にミューテーションを入れたマウスは加齢により自然に関節リウマチ様関節炎になることがわかった。IL-6のシグナル異常により関節リウマチが発症するということを証明できた。さらにこの機序を解明すれば関節リウマチなどの自己免疫疾患の発病メカニズムがわかるはずだ。今年で研究者生活34年目となったが、IL-6シグナル異常で関節リウマチのような自己免疫疾患が発症することを証明できたことは研究者冥利につきない。1972年医学部卒業当時の"夢"が“IL-6の発見とIL-6シグナル異常で自己免疫疾患が発症することを明らかにした”ことにより現実のものとなった。今年は、岸本先生らが開発した抗IL-6受容体抗体が関節リウマチの薬として臨床の場に登場するというIL-6研究の歴史における輝かしい年となる。
最後に多くの良き共同研究者と山村雄一先生や岸本忠三先生をはじめとする多くの指導者に恵まれたこと、家族の理解があったこと、多くの幸運に恵まれたこと、今日、この瞬間まで研究を続けることができたことを、ただただ感謝するのみ。“天の時、地の利、人の和”が私を今へ導いてくれたことを心の底から思うのみ。
文献
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