新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対する提言
令和2年4月28日
小川久雄 (国立研究開発法人国立循環器病研究センター理事長)
里見 進 (前東北大学総長)
土岐祐一郎(大阪大学医学部付属病院長)
中西宏明 (日本経済団体連合会会長)
濱口道成 (前名古屋大学総長)
平野俊夫 (前大阪大学総長)
松本 紘 (前京都大学総長)
松本正義 (関西経済連合会会長)
(現在の国家的危機に鑑み、個人の立場で本提言をするものである。)
昨年12月末に中国武漢ではじまった新型コロナウイルス感染症 (COVID-19)は、瞬く間に世界に拡散した。4月28日現在、世界で300万人が感染し、21万人が死亡した。日本では13,613人が感染し、394人が死亡した。幸いにも日本では様々な対策と国民の協力の結果、大きな社会的混乱は避けられている状況が続いている。
しかし、パンデミックになった現状では、ワクチンや治療薬が開発されない限り、収束までには流行の波を繰り返しながら2−3年はかかると考えられ、油断は禁物である。このままでは、今後2−3年間、全ての社会活動の低下は避けがたい。医療崩壊を防ぐとともに、1日でも早くCOVID-19の脅威から脱出するために国を挙げて国民が一丸となり取り組む必要がある。
今、何を最優先で取り組むべきかを真剣に考えるとともに、出口戦略などについて5つの提言をする。
本提言作成にあたり、第一戦の医療現場で対応していただいている地域医療関係者、地域中核病院関係者、大学病院関係者の方々から医療現場の状況を聞かせていただいた。使命感をもって、この国難に向き合っておられる関係各位に心から敬意を表するとともに、深甚なる感謝の気持を表したい。
提言1:長期戦であると言う認識
提言2:医療崩壊を止める
提言3:現状把握と情報共有
提言4:最悪の事態を想定した出口戦略の策定
提言5;今後の危機管理のありかた
提言1:長期戦であるという認識
免疫学的にはこのような感染症が収束する条件は集団免疫閾値(Herd immunity threshold;ワクチンや自然感染により集団が免疫を獲得する割合)で決まる。この割合は以下の式で決まる。
H=(1-1/R0)x 100
H:herd immunity threshold(集団免疫閾値)
R0:basic case reproduction rate(再生産数:一人の患者が何人に感染させるかの数、基本再生産数と実行再生産数がある。基本はウイルス本来の感染力、実行は、外出自粛や都市封鎖などの対策が反映された再生産数)
例えば、COVID-19のケースで、R0を2.5人とすると、(1-1/R0)x 100=(1-1/2.5)x100=60%となる。もし1.5なら33%。1なら、0%となり感染が集団に広がることはない(一人が一人に感染させても、元の人は免疫を獲得して治癒するか、あるいは死亡する)。1.1人以上なら感染が集団全体にひろがり、R0が大きければ大きいほど集団免疫閾値は大きくなる。
通常はワクチン接種と自然感染の両方合わせて集団免疫閾値を獲得すると感染が収束に向かうことになる。しかしCOVID-19に対するワクチンが現在存在しないという状況下では、約6割の人が自然感染して免疫を獲得しなければ収束に向かわないことになる。これが、イギリスやドイツの首相が1−2年かけて、国民の6−7割が感染するだろうと言っている根拠である。
今回のCOVID-19のケースでは、ワクチンがないので、30〜60%の人が感染するまで感染収束しないことを意味する。これを日本に当てはめると1.2億の60%、すなわち7200万人が感染しなければ感染収束しない。日本では現在致死率は2.9%なので約200万人が死亡することになる。しかし、無作為抽出サンプルによる抗体検査をしていないので本当の感染者数は不明である。おそらくPCR検査で確定した感染者数の10倍以上は存在すると考えると死者の数は20万人以下となる。推定では感染者の数はまだ10−20万人程度で、全人口の0.1−0.2%に過ぎない。感染収束までに要する期間は単純ではなく、様々な要因に依存する。医療崩壊を抑えながら人の接触制限と緩和をどの程度の頻度で行うか、BCG接種などの影響による自然免疫がどの程度感染防御や重症化防止に関与しているか、遺伝要因や社会的要因など様々な不確定要素などに依存する。現状のように、ワクチン、画期的な治療薬や医療技術なしでの収束には少なくとも2−3年はかかる可能性がある。しかも日本だけ収束しても世界で収束していなければ海外から日本に再度感染が広がる。
提言2:医療崩壊を止める
現時点では、政府の対策が一定の効果を呈して爆発的感染の手前で踏みとどまっている。COVID-19に対する医療自体は医療崩壊には至っていないが、感染拡大が続けば、いつ医療崩壊が生じてもおかしくない。また、循環器疾患や交通事故などの緊急医療や、がんや難病の治療、そして出産など一般医療に、すでに医療崩壊の兆しが見られる。今後長期化することが予想される事も考えると、医療崩壊防止は緊急の課題である。
1)医療機関の役割分担を確立する
λ重症者、中等度患者、軽症者、無症状者に対する医療分担:現在やっと軽症者・無症状者の病院からホテルなどへの隔離へと方針が転換され、部屋の確保は進みつつあるが、感染者が安心してホテルなどで過ごせる環境を一刻も早く整える必要がある。
λ自治体と医師会の協力:保健所のみならず県、市町村レベルの自治体と民間病院や医師会との協力が欠かせない。地域の保健所の役割がますます重要になる。保健所に地域の危機管理を担う役割と発言権を持たせることも重要である。
λ救急医療やがんなどの医療崩壊防止:救急医療、がん、難病、出産などCOVID-19以外の医療にすでに支障が出つつある。この課題の解決のため中核病院、地域医療機関、自治体と医師会や看護協会などとの役割分担や連携を速やかに構築する必要がある。
補足『神戸の医療機関のように循環器救急病院が院内感染し、循環器疾患の救急が困難に陥っている現状がある。大阪でも大動脈解離を手術できる病院がCOVID-19でICUが満室となり、国立循環器病研究センターなど少数の病院しか手術が出来ない。医療崩壊寸前である。救急病院はCOVID-19で満室にならないようにしておくというような分担も大事である。COVID-19は長期化することが予想される。本来、治療をすべき癌患者、難病、臓器移植などが置き去りにされないか非常に心配している』
2)重症者を取り扱える病院やICUを確保
λ医療機関と自治体のネットワーク構築:国立病院機構や都道府県の各自治体と中核病院の都道府県レベルそして全国的なネットワークの早急なる構築と実施が必要である。
λ重症患者治療の構築:都道府県をまたいだ重症患者治療の枠組み構築と実施が必要である。
3)医療の充実
λ医療物資・機材の充実と国内での確保:将来の危機管理も念頭に、政府ならびに自治体の連携協力による人工呼吸器、防護服やマスク、消毒液などの恒常的な国内生産体制の確立と都道府県をこえた物資の供給体制を確立する必要がある。
補足『医薬品、医療材料の製造が中国に移っていることの是正が必要である。現在、マスクや防護服の不足が問題になっているが、胸腔ドレナージの廃液ボトルや手術器具などすべてが不足している。日本の病院は医療費の抑制のためにコストカットを余儀なくされ、 医療材料を安く購入する努力をしている。結果として日本の医療材料メーカーは価格低下の圧力を受け、製造を中国に移動した。政府は一般診療における医療費を十分に支払い、日本のメーカーが日本で製造しても利益が出るように、日本全体の病院運営を変えなければ、国内での製造は国内に戻らない。日頃コストカットをしたつけがこのような形でその何十倍、何百倍の経済的損出となって跳ね返ってきているのが今回のCOVID-19である。』
λ発熱外来や検査体制の拡充に資する予算措置;専門病床の確保や受入れ医療機関において罹患者が増加し、一般病床の受入れ制限せざるを得ない状況や、一般病棟の受入れ制限が必要な状況の場合には、「空床補償」などの財政支援制度を整備する必要がある。
λ院内感染防止対策の支援:すべての病院、診療所は医療機関内での感染を防ぐ対策をマニュアル化し、各自治体との連携の下で遠隔診療も含めた対応策を講じるが、万が一受入れ対応期間に院内感染症が発生した場合の対応策と補償についての制度を整備する必要がある。
4)医療機関や医療従事者の疲弊防止
COVID-19は流行の波を繰り返しながら収束までには2−3年要すると考えて医療従事者の疲弊を防止しなければ医療崩壊につながる。
λ医療従事者の長時間勤務回避:長期戦となることを見据えて、診断と治療に従事する医師、看護師、検査技師などの交代制度を確立する。そのための感染症医療班と一般医療班との間でローテーションを組む必要がある。
補足『感染症診療体制に向けた人的資源の再配分は日本では簡単でない。今の医師、看護師は専門性が高く、感染症診療に対応していない。医療過誤の責任問題が大きいのも問題。しかし、感染症に対する知識と医療技術を習得するためにも段階を踏んだローテーションは医療従事者の生涯教育の一環として感染症の基本を習得するとともに将来の感染症流行リスクに備えるという意味でも重要である。』
λ医療従事者の様々な関係者との連携体制:病院単位、地域単位、国単位で構築する必要がある。日本医師会、地区医師会、看護協会、臨床衛生検査技師会などとの連携協力が必要である。
λCOVID-19受け入れ医療機関への補助:感染者を受け入れる医療機関、特に民間医療機関にとっては院内感染防止対策の費用や、院内感染発症による経営リスクがある。国や自治体による財政支援や補助制度が必要である。
補足『救急医療が問題である。特に一部の民間医療機関が少しでもCOVID-19の可能性のある患者を一切シャットダウンしている現状がある。診療所レベルでも発熱患者は見ない施設が増えている。患者は発熱では診てもらえないが、救急車を呼べば診てもらえる。一番の現場は開業医である。全くわからない不特定多数の「熱」「咳」の患者さんが初診で来院するため、感染にリスクに極めて高い緊張感にさらされてる。しかしながら、その中で一部の開業医は閉鎖・診療拒否している一方で、誠心誠意対応している開業医も多数いる。ボランティアで協力している開業医もいる。民間医療機関における経営リスクに対する補助制度は必要である。』
λ歯科医師の動員:すでにPCR検査では動員されているが、状況次第ではさらなる支援を求めるなど柔軟な対応が必要である。
λ獣医師の参加:可能な業務、参加した者への補償等をあらかじめ法律等で規定する。
λ医学部学生の参加:同上
λ医療従事者への感謝と支援:第一線で生命をかけて尽力されている方々への支援と感謝が重要である。
⎫危険手当の支給が必要である。
⎫ホテル宿泊確保とその費用やタクシー料金の支給など必要経費の支給が必要である。
⎫広報活動:医療従事者家族への偏見や感染者への偏見をなくすため、政府、都道府県、経済界、医師会、あるいは地域諸団体などが主導して広報活動を展開する必要がある。
提言3:現状把握と情報共有
現在は症状が出た人にのみPCR検査を実施しているので、感染者の数はリアルタイムではなく1〜2週間前の状態を反映しており、対応に時間差が生じる。そのためにはリアルタイムでの感染者把握が必要である。
λPCR検査の充実:現在は4日、基礎疾患のある場合や高齢者では2日以上発熱した人を対象にPCR検査をしているが発熱患者など医師が必要と認めた患者の検査をすぐに行い、早期に診断を確定して隔離するためにはPCR検査体制の拡充が必要である。
λ医療崩壊防止のためのPCR検査の拡充:PCR検査拡充は院内感染防止の観点からも医療崩壊防止に必要である。
λリアルタイムで感染者把握のためのPCR検査実施:全国的、あるいは地域的に無作為に検査対象を抽出しPCR検査を実施することによりリアルタイムの感染者数の把握が可能、定期的に実施することにより感染が拡散しているのか、収束に向かっているのかなど、リアルタイムで実態を把握することが可能となる。
λ抗体検査の早期実施:PCR検査によりその時点での感染の有無を明らかにできるが、抗体検査はすでに治癒した人も含めて感染者の数を把握できる。したがって出口戦略に有益である。現状では抗体検査の特異性と感度に問題があるので、抗体検査の確立を急ぐ必要がある。
提言4:最悪の事態を想定した出口戦略の策定
感染拡大を封じ込めるという観点からは疫学的観点からの対策が有効だが、世界中に拡散した現時点では、可能な限り早く収束させるための出口戦略も並行して推進することが重要である。
λ政府対策会議メンバーへの現場の医療状況に詳しい医療関係者などの参加
λ医療関係者の対策会議:重症者を可能な限り減らすため、あるいは重症者の死亡を可能な限り減らすための治療方針の早急な確立のためには全国の医療現場がバラバラに治療するのではなく、連携する必要性がある。現在感染症学会や救急医療学会らが独自の活動をしていると理解しているが、国として組織的な連携を推進する必要性がある。
λ緊急時特例で混合診療の許可:治療法をいち早く確立し実践することが重要。緊急時特例として保険診療と保険収載されていない医療との混合診療も認めて一人でも多くの命を救うとともに、このような過程で有効な治療方法が確立されれば出口が見えてくる可能性もある。
λ感染流行収束のための大きな鍵はワクチン開発である。ワクチン開発は1−2年の期間を要する。また安全試験や有効性の試験が必要。ワクチンによっては有効性や副作用に問題が生じることもあるので、可能な限り様々な方法で推進することが必要。国主導で可能な限り多くの製薬企業や研究機関に参加を促進する。そのための財源を十二分に確保する。
λ既存薬の臨床試験促進のための十二分な財源確保:ウイルス感染や重症肺炎の治療方法が確立されればCOVID-19は普通の風邪か季節性インフルエンザ並みになる。全く新しい新薬の開発には5−10年必要であるので、これは将来のための備えとして基礎研究が必要である。当面は他の感染症や炎症性疾患に使用されているアビガンやアクテムラなどの複数の既存薬の有効性を早急に確認するための臨床試験を促進する必要がる。特に重症の呼吸器不全を治癒することができれば、COVID-19は普通の風邪かインフルエンザ並みになる。COVID-19に見られる重症の呼吸器不全は免疫の過剰反応により引き起こされるサイトカインストームと呼ばれる症状である。
補足『白血病の治療に使用されるCAR-T治療における重篤な副作用であるサイトカインストームはすでに抗IL-6受容体抗体医薬(アクテムラ)での治療が日本でも行われている。したがってCOVID-19による呼吸器不全にも有効である可能性が大である。Immunityに考察論文が発表されて世界から注目されている。アメリカで第三相試験が開始され、日本でも試験が開始されている。』
これらの既存の薬の有効性が明らかになれば、早急に社会活動を再開することが可能となる。
λ最悪のことを想定して対応するのが危機管理の原則である。:ワクチンや治療薬が開発されない限り、流行の波はあるにしても収束するまでには2〜3年はかかると考えて、国、組織、個人のレベルでその心構えをするとともに、この間、教育をはじめ、文化芸術、スポーツ、学問や科学技術、市民生活、経済活動など、国民生活を可能な限り維持しながら危機を乗り切る様々な工夫を今から考えて実行していかなければならない。
提言5;今後の危機管理のありかた
人類の歴史は感染症との戦いの歴史であり、今後もこの戦いは続き、新規感染症や、気候温暖化によるマラリヤなどの熱帯地域特有の感染症が地球規模に広がる可能性もある。また、感染症に限らず放射線や自然災害などに対する危機管理はますます重要となる。
λ危機管理センター(仮称)の設立:感染症、放射線、自然災害などの国家レベルで、行政・組織の縦割りを超えてリスク管理を一元化する必要がある。
λ感染症センターの設置:危機管理センターの下に、感染症センター(仮称)や高度被ばく医療センター等を設立する必要がある。
λChief Medical Officerの設置:常時、政府に対して医学的観点から政策助言をおこなうアドバイザーが必要である。
λ将来を見据えた感染症センター:感染症センターでは、感染症や免疫学の基礎研究や疫学研究、基礎と臨床の橋渡し研究、リスク評価に基づく人々の行動変容に関する研究、医療資源の配分や個人情報の活用に関する研究など総合的な研究体制、検査体制、調査体制、総合対策体制を整備し、常時国内のみならず世界に目を向けて活動し、素早く新規感染症の流行の兆候を把握するとともに、感染症が発生した際には抜本的な対策を立てる。既存の国立感染研究所を強化・改変することも含めて検討する必要がある。
λ感染症病棟の拡充:国立病院機構を中心に旧結核病棟を感染症病棟として復活し、平常時は必要に応じて一般病床として運用し、非常時には感染症専用病棟に切り替えられる体制を確立する必要がある。
λ感染症分野の基礎研究の充実:人類の歴史は感染症との戦いの歴史であったが、先進国では生活習慣病やがんなどの疾患が主となり、感染症は省みられることが少なくなっていた。しかしながら、新型コロナウイルス感染症で明らかになったように、現代社会において感染症は大きな影響をあたえる。そして今後も新たな感染症が現れるであろう。すなわち、将来にわたり感染症との戦いは継続すると考えられる。したがって、細菌学、ウイルス学や免疫学など感染症関連の基礎研究を拡充し、将来必ず現れる新規感染症に備える必要がある。
λ感染症医学を担う人材育成:疾病構造の変化により、感染症の研究者も医師も少なくなっている。感染症と戦うためには、感染症学分野の人材育成が急務である。