金森順次郎先生
 
 
 
 
 

 平成25年3月1日、大阪のホテルで第13代大阪大学総長、金森順次郎先生の追悼講演会が開催された。


 私が先生に初めてお会いしたのは1991年に開催された天王寺高校関係者による総長就任祝賀会の席である。大変大柄だが柔和な顔をしておられた。当時、私は医学部の教授に就任してまだ2年という駆け出しの教授だった。先生が旧制天王寺中学出身ということで、当時の工学部長で、今は亡き松田治和先生の呼びかけで天王寺中学/高校出身の大阪大学教授が70名ほど集まり先生の総長就任祝賀会が開催された。それ以降先生には何かにつけてご指導いただいた。


 1994年に、日本で初めてのCOEプログラム応募があり、総長としての先生からいろいろご指導をいただいた。文部科学省でヒアリングを受ける前の日にもわざわざ電話で励ましていただいた。また1997年に大阪科学賞を先生から直々にいただいたことは、一生涯忘れる事が出来ない数少ない思い出だ。その後も幾度となくお会いするたび温かい眼差しで励ましていただいた。先生は趣味でプロ顔負けの金森農園を営まれており、先生お手製のブルーベリージャムは言葉には言い表せない深い味わいで、先生の緻密でかつ大らかなお人柄が沸々とにじみ出ていた。「平野さん、レモンを少し加えるところが味噌なんだ」と考え深げに語っておられたことがつい昨日の事のように思い出される。


 ブルーベリほのかに香る師のこゝろその味わいに英知は宿る


その先生から、昨年、一度阪大病院で検査してもらえないかとのお電話があった。金森先生はこれまで病気らしい病気もされず、日頃健康診断をお勧めしても一向に受けられない先生にやきもきしていたので、この際検査のためにも少し入院されてはとお勧めした。入院中に何度か病室をお訪ねして、昨今の大学運営のことや総長の仕事のことなどお話しさせていただいた。そのたびに総長職がいかに激務で多忙かをよくご承知の金森先生から、「そんなに私のところに顔を出さなくていいよ。大変な仕事をこなしているのだから」とねぎらいと思いやりの言葉を掛けていただいた。今考えると、もっといろいろお話ししておけばよかった、もっと人生のことも教わっておけばと、痛惜の念に駆られる。まだまだこれからご活躍が望まれていましただけに、私としても大阪大学としましても大変残念である。


 先生は、昭和5年3月に大阪市にお生まれになり、天王寺師範学校附属小学校を経て、旧制天王寺中学校に入学された。この天王寺中学はのちに府立天王寺高校となるので、私にとり、先生は総長としてだけでなく高校の大先輩にも当たる。金森先生はその後、大阪大学の前身である旧制大阪高等学校に進まれた。大学で物理の道を志されたのも幼少のころから自然科学に強い興味を持っておられ、高校の頃に湯川秀樹博士の影響や担任の先生の勧めもあって、当時日本の量子物理の中心であった大阪大学理学部物理学科を目指すことにされたが、同時に、戦後の学制改革で旧制高校の最後の世代ともなった。


大阪大学は、昭和6年に理学部と医学部からなる帝国大学として創設されたが、初代の長岡半太郎総長が発足に当たり、全国から若き俊英教授を集められ、中でも理学部の量子物理学の分野は、当時日本における研究の中心であった。金森先生は35歳の若さで教授に昇任された。先生は物性理論の分野で世界的なリーダーの一人として、卓抜した研究のご業績はあげられた。その一方で、大学の管理運営面においても非凡な行政手腕とマネジメント能力も持ち合わされておられた。当時どこの大学も紛争の真っただ中で、大阪大学も寮問題で学生と衝突していた。そんな中で最前線に立たれ、日夜過激派学生と辛抱強く話し合いを重ねられ見事に解決に導かれたという話も、金森先生の人間としての大きな器、お人柄によるところがあったと思う。


大学行政に全身全霊で打ち込まれた先生は、偉大な総長として名を残された。のちに「大学運営に関わったことは運命であったとしか思えない。貴重な体験で後悔はない」と、先生は述懐されている。また「大学運営において作文上だけの美学を追求することだけは避けなければならない」、「美は乱調にあり」という、大学運営にかかわる者にとって大変含蓄のある言葉を残された。多くの門弟を育成される一方で、大学の運営と今日の発展に大きな足跡を残された先生に深甚なる敬意を表するとともに、心からお礼を申し上げたい。


 師の教え今は聞こえぬその声にその笑顔にも脳裏は響く


先生の大阪大学への思いを全身でしっかりと受け止めるとともに、先生の教えを守り、2031年に大阪大学が創立100周年を迎える時には、大阪大学が研究型総合大学として世界トップ10の大学として輝いているという夢に向かって大阪大学教職員一同が持てる知と力を結集して邁進して行かなければならないという思いを今一度強く抱いた。先生の残された大いなる遺産を受け継ぎ、大阪大学は未来に向かって前進して行く事を誓いたい。


先生のご冥福を祈ります。

 

2013年3月1日金曜日

金森順次郎先生
 
 
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